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各コース内容



練気武颯拳コース



練気武颯拳は中国武術や日本の武道において、従来秘伝とされ一般に公開されてこなかった様々な技
法を組み合わせて創られた総合武術です。


修練内容は、打突・蹴法・投げ・極め・寝技等、多岐にわたります。

また、修練は武術の真髄である「自然の法則を身体で表現する」ことを目的として組み立てられてい
ます。


更に、技術習得と人格の陶冶が結びつくことを目標とし、この二つが着実に達成されていくよう修練
システムを組み立てています。


基本練功 養体(立、座、寝)、鞭手六法、足振り四法(定歩、移動)骨盤旋回、膝落六法
基本修練 「重み」伝達修練、発勁の基本「弾勁」、円圏等
技法修練 打突、蹴法、投げ、極め、寝技
天地瀑烈、光竜破岩、浮月



太極拳練功コース



練気武颯拳は主として陳式太極拳の術理を基にして創られています。

全ての太極拳の源流である「古伝陳式太極拳」は、システムとして「自然の法則」を自分の身体で表
現できるよう組み立てられています。


そこでこのコースでは、あらゆる套路(特定の動作を組み合わせて一つの型にしたもの)の根源であ
る「老架式」を中心に習得していきます。


套路の修得は、柔架・纏架・勁架の三段階に分かれています。

このほか、集中修練では、陳式太極拳規定套路である56式の修練も行います。

姿勢作りや動作を要訣に則って正しく行い、技の術理を理解し、実践用法を修得することによって、
「自然に適応した身体運動」の修得を目指します。


また、現在ではほとんど行われなくなった内功(勁功・気功・意功)という、太極拳の真髄として古
来より伝承されている技法を修得していきます。


基本練功
養体(立、座、寝)、鞭手六法、足振り四法(定歩、移動)、骨盤旋回、

膝落六法
基本修練 「重み」伝達修練、発勁の基本「弾勁」、円圏等
技法修練 単推手、双推手(定歩、活歩)、推手六法等
套路 陳式太極拳「老架式」→「柔」「纏」「勁」の三段階で習得
陳式太極拳規定套路「五十六式」(集中修練)



練気杖術コース



基本練功
養体(立、座、寝、杖持ち)、鞭手六法、足振り四法(定歩、移動)骨盤旋回、

膝落六法
基本修練 「重み」伝達修練、各種振り、打突等
技法修練 相対練功、約束攻防等
天地瀑烈(杖型)、光竜破岩(杖型)、飛焔


段級位と審査

初伝(二級・一級)、中伝(初段・弐段)、正伝(参段・四段)、奥伝、皆伝



よくある質問

  
 
Q1:なぜ「力を抜く」(脱力する)と『力が出る』のですか?


私たちは通常、筋収縮を強めることで強い力が出ると思っています。





これは、筋力を強めるということにおいては間違ってはいません。





しかし、武颯塾で体得する力は、勁力と言われるものであり、筋力とは全く質の違った力なのです。





勁力は私たちの身体の約70%が水分であるということを活用した力で、脱力することによって身体内に生じたベクトルと地面から上がってくる抗力によって生じたベクトルを合わせて力に転換したものです。





脱力することによって重力に引かれ生じたベクトルと身体が地球に引きつけられることにより生じた抗力によって生じたベクトルを力に転換するわけですから、言い方を変れば「重力」を力に転換したと言えるわけです。








 このことからも分かるように、「力を抜いて力を出す」といっても、ただ単に力を抜いただけではなく、力を抜くことによって勁力を使うのです。





筋力に変わる力、つまり、勁力というものが存在するからこそ、力を抜いて力を出すことができるのです。


 


勁力と筋力は相反するものです。





筋収縮を強めて「力」として発揮する「筋力」に対し、無駄な筋収縮を無くし、重力を力として発揮するのが「勁力」なのです。





筋力に代わる力の存在、勁力があるからこそ無用な力みを取ることができるのであり、勁力を発揮するために筋収縮を緩める、つまり、「力を抜く」のです。





「力を抜く」は、筋収縮を緩めることであり、『力を出す』は勁力を発揮することなのです。



  
 
Q2:無駄な筋収縮を止めるってどういうことですか?


私たちが姿勢を保持したり、動作を行う上で、筋収縮は絶対に必要なものです。





もし、必要な筋収縮まで抜いてしまったら、私たちの身体はグシャリとつぶれ、身体活動が非常に困難になってしまいます。





私たちの姿勢保持をするために抗重力筋といわれる筋肉が自然に収縮しています。





この筋収縮は、無駄な筋収縮とは言えません。





また、身体運動を行う上でも、筋収縮が必要であることも事実です。





しかし、姿勢保持のための抗重力筋による筋収縮はどこまでも緩めていくことが可能です。





このことは、姿勢を保持したまま腰背部や足の力を抜いていくことが可能であることを体験することで身体を通して理解できます。





また、身体運動を行うために必要な筋収縮もスポーツ・バイオメカニクスなどで明らかにされているように、骨格筋は第3種のテコという構造により、筋収縮は小で、運動は大であるということが分かっています。





つまり、動作だけを考えれば筋収縮は極わずかでも可能であるということです。(後に詳しく解説)








 しかし、私たちが身体運動を行う際には、ほとんどの場合、同時に力を必要とします。





そこで、動きだけを考えれば、筋収縮小でも効果は大であるにもかかわらず、筋力しか力の存在を知覚・認識できなければ、動きとしては不合理であることを承知しつつも最終的に筋収縮大にしてしまうのです。





ですから、一般的には力を抜いて動作を行い、最後の最後に筋収縮を強めて力を発揮するという方法を取ります。





しかし、これでは動きの合理性と力の不合理性を解決したことにはなりません。





このことは、Q1でお応えした勁力の存在を知覚認識することで解決できるのです。





勁力の発揮は、動きの合理性を発揮できる筋収縮小であることが絶対条件になるからです。





つまり、強い力(勁力による)を発揮するためには、動きにおける合理性の絶対条件である筋収縮小が要求されるのです。





このことを理解して脱力修練に取り組むことが非常に重要です。








 私たちには姿勢保持をしたり、合理的な運動をするための能力が元々備わっています。





このような、私たちに備わっている自然の働きに任せれば、抗重力が合理的に働いて姿勢の維持は可能です。





後はその自然に備わっている働きをより一層発揮するために後天的に付けてしまった無駄な筋収縮を止めていけばいいのです。





身体に備わる本来の働きに任せる度合いに応じて私たちの能力は発揮できるのです。





私たちが本来備わっている能力を如何なく発揮するためには、後天的に付けてしまった無用な筋収縮を意図的に止めていく必要があるのです。


  
 
Q3:「脱力」って、どういうことを指しますか?



この質問は武颯塾の修練の根幹をなすものでもあるので、順を追って詳しくお答えしたいと思います。





最近は「脱力」という言葉が一般的になり、様々な分野で使われるようになりました。





そのためか「脱力」という言葉の持つ意味も多様化し、あるところでは「脱力」とは「単に力を抜くこと」、また、別のところでは「脱力」とは「立っている状態の筋収縮を意味する」といったように、その意味(定義)が異なります。





これでは、武颯塾で提唱している「脱力」の意味も間違った解釈がなされてしまう恐れがあります。








そこで、武颯塾における脱力の定義を以下に示しておきたいと思います。





1、武颯塾でいう「脱力(力を抜く)」とは筋収縮をなくすことか?


 


まず、「脱力」について語る上で前提となるのが、「力」の定義です。「力」について広辞苑には次のように書いてあります。





(1)自らの体や他の物体を動かし得る筋肉の働き


(2)気力、精神力、根気、精進


(3)能力、力量、実力


(4)以下、労力、努力、効能、腕力





以上のことから、人間における「力」とは「身体的な力」と「精神的な力」に大別できることが分かると思います。





 「脱力」で扱う「力」とは身体的な「力」であり、広辞苑に当てはめると(1)の「自らの体や他の物体を動かし得る筋肉の働き」ということになります。





さらに、筋肉の働きは筋収縮によって行われるので、この文章は次のように言い換えることができます。





「力」とは「自らの体を動かし得る筋収縮と、他の物体を動かし得る筋収縮」





通常、私たちは「自らの身体を動かし得る筋収縮(姿勢保持も含む)」のことを「力」(をつかっている)とは感じません。





私たちは、自らの身体を動かすことに「力」を感じることはほとんどなく、私たちが「力」として感じているのは「他の物体を動かし得る筋収縮」のことです。





そこで武颯塾では、この二つの筋収縮を「動き」と「力」に分けて理解していきます。





(A)自らの体の姿勢保持や動きに使う筋収縮:「動き」


(B)他の物体を動かす(力として)ための筋収縮:「力








 この筋収縮を二つに分けて理解するところまでは、スポーツバイオメカニクスなどの最先端の運動力学とあまり変わりません。





 身体運動において「力」を生み出すのは骨格筋の役割になりますが、この骨格筋のほとんどは関節をまたいで骨につき、「力点」が中にある「第3種のテコの作用(筋肉は両端を引き付けて収縮し、その収縮する方向にのみ「力」が発生する)」で「力」を骨に伝達する仕組みになっています。





そのために、「動き」として使うと合理的、「力」として使うと不合理になるという矛盾を持っています。





当然のことですが、「力」は「動き」の中で発揮されるものであり、筋収縮によって「動き」と「力」の両方を使おうとする限り、この骨格筋の持つ矛盾を解決することはできません。
(この矛盾については後述)








 武颯塾における「脱力」は、この「動き」と「力」における筋収縮の矛盾を解決する画期的な技法であり、「脱力」で取り去る筋収縮とは、不合理であるBの「力」として使う筋収縮です。





Aの合理的に働く「動き」(姿勢保持)に使う筋収縮ではありません。Aの筋収縮を取り去ることを武颯拳では「ふぬけ」と呼び、「脱力」との違いを明確にしています。





このことから、太極拳の「脱力」は筋収縮をすべてなくすことではありませんが、「力」として使う筋収縮は可能な限りなくしてしまう必要があることを理解してください。





武颯塾の「脱力」が理解しにくいのは、筋収縮をその働きによって二つに分け、その片方のBの筋収縮を取り去ることを前提としている点にあります。





そして、このことを理解しないまま、修練していると「ふぬけ」たり(A、Bともに筋収縮をとろうとしたり)、「力」を入れてしまう(A、Bともに筋緊張を強めてしまう)ので注意が必要です。





 「脱力」=「力を抜く」=「力として使う筋収縮を取る」








2、「脱力」とは合理的な筋収縮を作り出すことか?





 1、で説明したように、武颯塾における「脱力」で扱う筋収縮とはBのことであり、この
「力」として使う筋収縮については、可能な限り取り去ることを目的としています。





つまり、「脱力」とは「脱(する、通常の)力(として使う筋収縮)」を意味し、「動き」に使う筋収縮だけで「力」を発揮できるようにしていく方法なのです。





繰り返しになりますが、ここが武颯拳の最も理解しがたいところであり、なかなか上達しない原因でもあります。





そして、最も重要なことは、理論上はともかく、実際問題として『一連の「動き」(に使う筋収縮がある状態)の中で「力」として使う筋収縮を取り去り、「力」(筋収縮以外の)を発揮することが可能なのか?』ということでしょう。





 このことについては、武颯塾で行う練気武颯拳や古伝太極拳のみならず、古来の武道、武術の真髄として伝わる(精妙で、一般的には不可思議な)「力」、つまり、「重力」を主とし、それに遠心力や「気」等を加えて「力」として使うことによって可能になることが知られています。








 もちろん、武術の奥義として継承されてきたものであり、秘伝として伝わってきた技法ですから、この「力」の体得は容易なことではありませんが、特別な才能がある者にしか使えないというものではありません。








 武颯塾の修練において、技がうまくかかった時に、「力」を使った感じがしないのは、「力」として使う筋収縮を取り去り、「動き」に必要な筋収縮だけ(それに近い状態)で技をかけたからなのです。





 この「動き」に使う筋収縮だけで「力」を発揮しようとすることが、結果として身体にとって最も合理的な筋収縮の状態だったとしても、その合理的な筋収縮は、「力」として使う筋収縮を取り去ることで、あくまでも結果として作られたものです。





ですから、修練を進めていく上では、「力」として使う筋収縮を取り去ることを目的としていなければなりません。





 当初、武颯塾における修練は屈筋主導から伸筋主導へ(合理的な筋収縮の養成)、そこから、「重力」を力として使うという順番で修練を進めていました。





このことは、いくつかの書籍にも述べていますが、この屈筋主導から伸筋主導の筋力の変化は人間の進化とも関連づけて述べることができ、合理的な身体運動を行ううえで重要なプロセスです。





しかも、一般の方にも分かりやすく比較的体得もしやすいものです。





ですから、現在では多くのスポーツや武道に取り入れられています。





もちろん、伸筋主導といえ筋力なのですから、筋量の多い人が有利であることに代わりはありません。





 しかし、この伸筋主導から「勁力」に移行する時に、伸筋の筋収縮をとることができず、伸筋主導の「力」を「勁力」と勘違いしてしまう、その結果、武颯塾での修練に必要な「脱力」ができなくなるといった弊害が多く見られるようになりました。





これでは武颯塾で一番伝えたい「脱力」を前提とした「重力」を「力」として使う修練が、より困難になると考え、屈筋主導から伸筋主導へ変化させる修練を省略した修練カリキュラムに変更しました。








3、「脱力」の目的





 1、2で武颯塾で伝えようとしている「脱力」については、ほぼ理解できたと思いますが、「まとめ」として「脱力」の意味するところを心理面とも関連づけて、さらに説明しておこうと思います。








 今まで筋収縮を強めることが強い力を発揮すると思いこんでいる心の習慣(常識)を変えるには、通常とは正反対になる「力」の使い方(筋収縮を取り去る)を理解し、体験していくことが必要になります。





 潜在意識に染み付いた心の習慣を変えるためには、自覚しうる筋収縮感はすべて取り去るという気持ちが必要です。





「脱力」修練においては、「ふぬけ」にならない前提の上で、筋収縮はすべて取り去ろうとすることが必要です。





また、強い外部刺激に対して、「力む」(筋収縮を強める→筋緊張→防御)という心の習慣は、筋収縮を強めることが、自己を防衛する上での「力」(他のものを動かし得る→排除する。はね返す)となるという発想から生じているものと推察されます。





 「脱力」は、これらの習慣を変えていくことに大いに役立つと思います。





緊張からの脱却→真のリラクゼーションの養成にも「脱力」修練が活用できるわけです。





このように「脱力」は心理面にも大きな影響を与え、心の習慣を変えることも可能にしていきます。





「脱力」のレベルが向上し、「重力」を「力」として使えるようになってくると、合理的であるはずの姿勢保持や「動き」における筋収縮にも多くの無駄があることが感じられるはずです。





人間はどんなにリラックスしている時でも、筋収縮がすべてなくなることはありません。





しかし、必要最小限の収縮度まで高めることは可能です。





筋収縮は「重力」に抵抗する働きであり、この働きが少なければ少ないほど、「重力」と調和し、「重力」を活用することが可能になります。





そして、そのことが、より自然と調和していくことにも繋がっていきます。





 必要最小限の筋収縮は、考えても、望んでもできません。





それは自然の法則によって作られている身体が作り出すものであり、自然の働きそのものである身体に「任せる」「委ねきる」ことで達成されるもののはずです。





そのためには、思いを静め、身体の感覚を感じ続けることが必要となるわけです。








 ここに、武颯塾の基本理念を挙げておきます。





「人間の身体は、人間自身のものでありながら、人間が勝手に作ったものではなく、自然の法則がつくりだしたものである。


ゆえに、人間の身体は自然の法則に適応した時に、最大の機能を発揮する」





 自然の法則が「重力」だけとは言えませんが、この宇宙で最大の法則であることは物理学が証明しています。





この「重力」との調和が、人間を自然へといざなう大きな指針となることは間違いないと思います。








 武颯塾の修練は人間の全人的(心身両面にわたる)な自然回帰(自然の働きと融合する)に向かうための修練です。





そして、「脱力」はその前提となるものであることをここに記しておきたいと思います。



  
 
Q4:「筋力」による「力」って不合理なんですか?



通常、私たちは「力」は「筋力」によってつくられるものであると信じて疑いません。





実際、「筋収縮」によって「力」が生み出されるのも事実です。





では、「筋力」による力は、「力」として合理的といえるのでしょうか。





以下、骨格筋の構造を述べておきます。








◆骨格筋の構造と特徴





先ほども述べましたが、通常、身体運動において「力」を生み出すのは「骨格筋」の役割
になります。





そして、「骨格筋」のほとんどは関節をまたいで骨につき、「力点」が中にある「第三種のテコ」の作用(筋肉は両端をひきつけて収縮し、その収縮する方向にのみ力を発生する)で「力」を骨に伝達するような仕組みになっています。












人間の腕も「第三種のテコ」の作用で動く仕組みになっているわけですが、このような仕組みにはいくつかの特徴があり、その特徴を知ることで「筋力」の合理性を検証することができます。





ここではスポーツ・バイオメカニクス的に、「動き」と「力」に分けて「骨格筋」の特徴を見ていくことにします。








まず、「動き」についてです。





「骨格筋」の特徴として、筋肉のわずかな収縮が、末端部の大きな「動き」を作り出すことが知られています。





つまり、





「動き」における「骨格筋」の特徴


「動き」→筋収縮「小」でも末端には大きく作用する。(合理的)





ということになります。








しかし、「力」を発揮する場合、「骨格筋」には、身体運動の合理性からみて、二つの矛盾が生じることが分かっています。





その矛盾とは次のとおりです。








◇第一の矛盾





「力」の不合理性





力に注目した場合の「骨格筋」の特徴として、筋肉を強く収縮させても、末端に作用する「力」は著しくし小さくなることが知られています。





他の物体に「力」を作用させるには、作用させる部分(大半は身体の末端部)へと「力」を伝達しなければならないにもかかわらず、「骨格筋」の構造上、筋肉をいくら強く収縮させても、末端にいけば行くほど作用する「力」は小さくなってしまうのです。(図)





つまり、





「力」における骨格筋の特徴


「力」→筋収縮「大」でも末端にはわずかしか作用しない。(不合理)





ということになります。





このことは身体運動における「力」について考える際に非常に重要なポイントとなります。








「骨格筋」の「第3種のテコは、「動き」、「力」ともに筋肉の収縮を原動力にしながら、「動き」では得をし、「力」では損をするような仕組みになっているのです。





つまり、「動き」については合理的、「力」については不合理ということになります。





これが、「骨格筋」が「筋力による力」を発揮する上での第一の矛盾です。








◇第二の矛盾





「力」の不合理性が「動き」の合理性を阻害する





さらに、「力」を使う目的は、「押したり」「引いたり」「?んだり」というように、「動作」を伴う為、実際には「力」と「動き」を分離して使うことはできません。





これは、「筋力」で「力」を出そうとする限り、合理的であるはずの「動き」までもが力の不合理性によってその合理性を失い(筋収縮を大きくせざるを得なくなり)、結果的に「力」と「動き」の両方が不合理になることを意味します。





これが、「骨格筋」の持つ第二の矛盾です。








◆力の原動力を考える





通常、私たちはポパイの力こぶが象徴するように、「筋収縮」こそが「力」を生み出す原動力であると考えています。





しかし、この「力=筋力」という前提自体が矛盾を作り出す原因となっています。





「力=筋力」という発想では、この「力」の矛盾を解決することはできません。





つまり、「筋力による力」は、「力」の合理性という点から見た場合、決して合理的とはいえないわけです。





このような「筋力による力」の不合理性については、スポーツ・バイオメカニクスなどの最新の体育理論でも解明されています。





ただ、それに代わるべき「力」についての発想がないために、不合理な状況のまま、より大きな「力」を発生させる方法を研究しているのが現状のようです。





つまり、いかに効率よく強い筋収縮を行えるかが重要な課題となり、そのために「筋量」や「筋の収縮力」「収縮速度」などを増すことによって、より大きな「力」を発揮する方法を研究しているわけです。





決して「力=筋力」の持つ不合理性そのものを根本から見直す方向で研究が進められて
いるわけではありません。





もともと矛盾があるものをどんなに細かく研究しても、大きな改善は望めないでしょう。











「筋力による力」の矛盾を根本から解決するためには、これまでの常識を打ち破る発想が必要です。





スポーツ・バイオメカニクスの研究者の方々が、「脱力」の武術である太極拳の力の発揮法に着目し、新たな「力」の存在の研究に取り組まれることを願って止みません。





もし、そのような機会が与えられるのであれば、私たちは全面的な協力を惜しみません。





是非、「勁力」について研究し、新たな道を開いていただければと思います。「力」の世界に革命が起きると思います。





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